雲食べてー・・・

「降谷君、日向ぼっこしないでちゃんと掃除しなよ」
「‥‥あったかい」
 春市の注意を完全無視している降谷はとても気持ち良さそうだ。降谷は教室の窓際、よく陽の当たるところに立っている。一応箒は持っているのだが箒の役割を全く果たしてない。
 普段は別々の掃除場所なのだが、春市たちのグループの掃除場所が今日だけ教室にシフトさせられた。おかげでサボる人も多発する、という訳だ。降谷に関しては普段からほとんど動いてないのだが。
 春市は掃きながら降谷の様子を窺う。彼は一向に動かない。ある程度掃き終えて春市は降谷に声をかける。
「降谷君、」
「あ‥‥」
 言葉足らずの降谷は窓から下を見ているだけ。何があるのか気になり、春市も窓の側に寄る。降谷は無意識のうちに春市の注意を逸らしていた。
「栄純君元気そうだね。‥‥じゃなくてっ」
 下のゴミ捨て場から威勢のいい声が響く。そこには先輩に挨拶する沢村の姿があった。出鼻を挫かれた春市は箒の柄で降谷の頭を叩く。ミートの達人は寸分の狂いもなく、降谷の頭のど真ん中に命中させた。
 掃除していたクラスメイトはそのコントロールの良さに感動しつつ見なかったことにする。そしてサボっていた人はそそくさと掃除に参加し始めた。
 当の降谷は痛いと思いながらもいつもの表情を崩さない。ゴミ捨て場にいた沢村はいつの間にかいなくなっていた。
「降谷君、早く現実に戻ろうか」
 一度降谷に会話の定義を徹底的に教えようかと企む春市。この掃除時間まともな会話をほとんどしていない。
「雲って美味しいのかな‥‥?」
 相変わらずマイペースな降谷だった。いつか亮介に小湊チョップを享受しようと決意する。‥‥もしかしたら背丈のせいで頭に当たらないかもしれない、というのは考えない。考えたら負けだ、きっと。
 その間にも掃除時間は着実に減っていく。担任の先生も教室にいたが、声をかけることはしなかった。降谷の側に春市がいることに安心したのかもしれない。
「‥‥世界史のノート見せるのやめようかなー」
 春市は知っていた。授業中降谷はほとんどの確立で寝ていることを。痛いところをつかれた降谷は内心冷や汗を掻く。
 同じ掃除場所にいる野球部員は、兄の亮介を思い出した。野球部員の皆が思うことは一緒だ。――流石、あの亮介さんの弟。何があっても敵に回したくない。
 降谷や野球部員の胸中を知ってか知らずか春市はクスリと笑う。恥ずかしがり屋である彼だが、その笑いは兄と被るものがあった。
「‥‥くかー」
 降谷は寝たふりをする。せめてもの悪足掻きだ。春市は再び箒で降谷の頭を叩く。今度は控え目に、極力痛みを感じさせないように。
「世界史のノート、今度提出あるよね」
「‥‥‥‥」
 降谷は無言で動き出す。それを見た先生は頷いた。掃除は終盤に入っているが、降谷なりに自分のすべきことを探している。春市も掃除を再開した。
 掃除が終わった後の教室はいつもより断然綺麗になっていたとか‥‥。

 * * *

 後日、春市の言った通り世界史のノート提出の期限が授業中に発表された。期限は五日後、今週末までだ。降谷は春市の席に行きお願いする。
「世界史のノート‥‥」
「しょうがないなぁ。今度掃除サボったら見せないからね」
 甘やかし過ぎるのは降谷に悪い、と思いつつ何だかんだで渡してしまう春市だった。降谷はノートを受け取り席に戻る。その後写すかと思ったら机に突っ伏せた。
 余裕なのか、逃避しているのか、降谷の場合恐らく逃避だろう。春市は降谷の席に行き警告する。
「今度から渡さないよ?」
 これで写すのすら忘れていたら洒落にならない。春市は降谷が居残り組にならない為にも注意した。春市の脅しという名の注意が効いたのか、ノートを開き写し始めた。
 春市はついでに降谷のノートを見てみると、愕然とした。本当にほとんど取ってない。後五日間で終わるのか心配になる程だ。春市は見なかったことにする。
 すると教室のドアから聞き慣れた声と共に沢村がやってくる。クラスメイトは何事もなかったかのように振舞う。実際沢村が教室に入ってきたのは昨日今日のことではない。気づいたときには教室を賑やかにしていた。
 春市は苦笑する。これまた慣れたこととはいえ、その忘れ物の多さには目を見張るものがある。置き勉していると沢村本人から聞いているが、珍しく勉強しようと寮に持って帰った次の日は大抵忘れるらしい。
「今度は何?」
「世界史の教科書!!」
 春市は仕方なく教科書を渡す。沢村はお礼を言い教室を去っていった。
TITLEbyOverture 智美
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